コロナが始まって、僕の会社は生き残れるのか?
2020年、今年は世界中が新型コロナウィルスで悩まされる年になりました。私みたいな小さなお店が生き残れたのか、生き残れなかったのか?
MAXY Limitedは大ピンチに直面しました。
今年に入って、中国で新型コロナウィルスがすごい勢いで広がっているニュースは聞いていましたが、遠く離れたケニアでは、正直別世界の話だと思っていました。
日本へ広がってもまだ、ケニアというか私の会社にはほとんど影響無かったです。
3月13日ケニアで始めての感染者が確認され、15日にあらたに2名。ここから市場が一気に変わります。その日の夕方政府が外出を控えるようにとか、感染国からの入国者の入国を停止するなどの対応が発表されました。
16日の月曜日はいつも渋滞する道路が空いているという感じになっていました。
バイクタクシーをしている人たちもお客がいない!!と愚痴をこぼすようになりました。
うちのお客さんの数は徐々に減っていく感じが、目に見えて分かるようでした。
その後も感染者数は徐々に増えていきました。3月15日から1週間後の22日には15名の感染の確認をして、あらたに政府の対策が発表されました。
3日後の25日から貨物機以外の飛行機運航を停止するとか、バーなどの営業停止、レストランは持ち帰りのみなど、いろんな対策が打ち出されました。ちなみに私はこの日に40歳の誕生日を迎えました(笑)
翌日の月曜日、私たちは今後の方針について話し合いをしました。
話し合いの内容はザックリこんな感じでした。失業はしたくない。給与が欲しい。お店に来て働くことに関しては問題ない。など
結論としては、営業続行。仕入れ先のHONDAさんが営業している間は、顧客にサービス提供できるので、やるべきだと。
ケニアでのバイクは、ほとんどの使用目的がビジネスになります。ライダーの収入に直結します。バイクが乗れなければ収入がなくなってしまいます。
レストラン営業ができなくなり、デリバリー需要が増え、ライダーもまだまだ稼げる環境があり、そのビジネス道具を止める訳にはいかないと判断しました。
この状況では何が正解なのかは分かりません。でも決断はしなければいけません。
私の中では、会社を潰したくないのはもちろんですが、従業員に給与を払えない状態は防がなければと思っていました。給与がなければ失業者になるのと同じなので、なんとかしなければと思っていました。
この時、私の中で不安要素がありました。
1つは、キャッシュがないという状況です。2月中旬から始まったプロジェクトに投資をしたことです。このプロジェクトに対して、昨年度の弊社利益や、お金を借りたりして工面したお金をすでに使ってしまったことでした。このプロジェクトもこの現状で一旦停止にしましたので。このプロジェクトからの収入が見込めず。要はキャッシュがすっからかんになっていたのです。
普段なら、毎月の売り上げが黒字になっていたので、その月の売り上げから給与や家賃などの支払いができていましたが、単月で赤字になれば、給与が払えないかも。。。という状況になったのです。
もう1つは、この23日の話し合いに、うちの2番手が参加していなかったのです。その日から3日間休みが欲しいと言ってきました。田舎へ帰らなければならない状況ができたのだと。なんとなくですが、帰って来ないのでは?と思っていました。
この2番手の子には支払いなどもできる、ある程度の権限を渡していたのですが、いないことにより、私がお店にいないと回らないことが増えてきました。
案の定、この子は3日間で帰ってこず、感染が怖いので田舎にいたいと話してきました。4月からは給与もいらないのでと。この決断も1つだと思い。みんなでカバーしていくことになりました。
その後、感染者は徐々に増えて行き、夜間外出禁止令が出たり、4月6日にはナイロビのロックダウンと、いうのですかね?ナイロビから他の町へ人の行き来ができなくなりました。
ブログを書いている今、4月の3分の1が終わり、今までの時期の平均売り上げと比べて、3割くらいしか売り上げがあがっていません。今後市場が伸びていくことは考えにくいので、どこまで落ちていくかと、いう感じですね。。。
修理するメカニックも暇な時間が増えてきて、気づいたら、あらっ(笑)
ひとまず、在庫を減らしてキャッシュを作るという苦し紛れの方法で、今月は従業員には給与払えるのではと思っています。
社長になったら言ってみたかった一言の中に、
「俺は誰も切る気はない!倒産する時は、みんな一緒だ!!」
このセリフをミーティングで伝えました。(笑)自己満足!!
本当にダメなときはダメだと思いますが、最後まで諦めずやれるところまでやってみようと思います!
皆様もお体気を付けながら頑張ってください!
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